はす向かいにて

20歳、自分のこととそうじゃないこと

フォーエバーヤング

2016.11.25@下北沢CLUB Que
BOYS END SWING GIRL
ONE-MAN LIVE

    真っ直ぐなだけでは、私たちは今日を到底生きられない。時に回りくどく、時に嘘を吐き、空白を塗り潰しながら明日に襷を繋いでいく。忙しない日々の繰り返しの中では、それしか方法がないような気がしてしまうけれど。そんな遣る瀬無い日常をとんでもない光で照らし出し、観客の手を引いて階段を一段ずつ昇っていくような、ドラマと多幸感に満ちた2時間だった。

    9月にリリースした初の全国流通盤『KEEP ON ROLLING』を引っ提げて全国を回った「LOOKING FOR "ROCK" and "ROLL" TOUR」のファイナル公演。アルバム曲を中心に、ポップな楽曲を散りばめた序盤のセットリストとエンターテイメント性の高い演出を次々と繰り出していく。
    
    BESGが描く歌詞は、バンドのバイタリティの結晶だ。多岐に渡る楽曲の振り幅も、その上を堂々と遊び回る言葉がどくどくと脈を打つから躍動のレベルが上がる。ではそのバイタリティの根源とは何か。それはソングライターであるVo.冨塚大地が、音楽の力を誰よりも信じている人間だということだろう。中盤で見せた、彼らの持ち味のひとつである物語性に富んだスロウテンポな楽曲の浸透力も、現体制になった2013年2月の自主企画にタイムスリップしたという体で披露された初期のロックチューンの説得力もそう。決して奇をてらう訳でなくただ愚直に伝えようという意思が、逞しくなったバンドアンサンブルからも感じられる。「信じる」こと、そういう実にシンプルなことをここまで誠実に体現してみせるバンド、こちらだって信用してしまうに決まってるのだ。

    全身全霊で届けられた本編ラスト"フォーエバーヤング"の正しさだけで、あと何千時間息をしていられる気がしてしまった。アンコール"ロックンロールファンクラブ"が全編の答え合わせをするかのような清々しさをもってオーディエンスの心臓を揺らす。

〈いつだって前しか見えてないんだ
いつか あなたに手が届くように〉

その偽りのない言葉の延長線上に広がる景色を、私たちにも見せてほしい。

ラブソングにおける2人称の話

LILI LIMIT "Neighborhood"に寄せて

    捻くれたラブソングは、夢に似ている。どうしても叶えたい夢を持ってしまった人間は、その相手に苦しめられては救われて、信じては裏切られたような気分になって、悩み続ける。忘れた振りをする度に思い知らされ、私たちは忙しなく涙を流す。タチの悪い恋愛ってこんな感じかなあ、と思いついたのはもう何年も前のことで、あらゆるラブソングの"君"とか"あなた"のところに積年の夢を思い浮かべているうちに、とうとう捻くれた大人になってしまった。

   LILI LIMITのニューアルバム『a.k.a』が素晴らしい。ポップとしての純度はより研ぎ澄まされながらも、繰り返し綴られる〈暮らし〉〈生活〉というワードには、たっぷりの空気を含んでは空に放たれるような自由さと切なさがあり、楽曲が持つ独特な彩度の低さは寧ろ知らない景色を見せてくれるような気がする。中でも特別な寂しさを感じたのはM-7"Neighborhood"。ここで描かれた失恋はきっと、彼の人生のとっておきだったんだろうな。

(以下 "Neighborhood"より抜粋)

〈ラジオスター僕のラジオスター
君が登場して
僕の心壊していったんだ〉

〈泡沫の恋は酷い甘さだけ残り虫歯が出来た
君のチャートに入りたかった〉

〈ラジオスター僕のラジオスター
君は僕にとって
最後の人になれたら幸せだった〉

    私の人生に土足で入り込んでめちゃくちゃにしたそれを、結局いつまでも嫌いにはなれないのだろう。それならいっそ、夢の職業でも誰かの恋人でも何でもいい。憧れに憧れて生きていける時間が出来るだけ長く続きますように。そんなことを思いながら、私は今日も音楽を聴いている。

「きゃりーぱみゅぱみゅ」という私たちについて

2016.5.5 JAPAN JAM BEACH 2016@幕張海浜公園 きゃりーぱみゅぱみゅ SKY STAGE 16:45~

     たとえば今、渋谷のスクランブル交差点を友達と一緒に歩いているとしよう。街頭ヴィジョンからはキャッチーなメロディがきらきらした音色で彩られた耳馴染みの良い音楽。その瞬間「この曲良いな」と思ったとして、それを自分の部屋にこもってイヤホンで聴いたとき、同じように良いと感じるだろうか?音楽にはそれぞれ合った届けられ方があるように思う。アーティストと自分の間を「一対一」で響き合うもの、アーティストとオーディエンスの間を「一対みんな」の構図で響き渡るもの――――きゃりーぱみゅぱみゅは完全に後者、つまり街角で聴いて良いと思える音楽だと思っていたのだが、実はそうでもないらしいのだ。

    JAPAN JAM BEACH 2016最終日、夕暮れを前にしたSKY STAGEに堂々と登場したきゃりーぱみゅぱみゅ。“インベーダーインベーダー”をビートに乗せてはつらつと歌い上げると、続けて披露された“にんじゃりばんばん”は軽快なハンドクラップを誘い、オーディエンスは早くもお祭り状態。からっと晴れた好天も手伝って、ビーチの熱気はあっという間に沸点を超えていく。広い会場においても、密接なやり取りが出来ていることもきゃりーのライブの魅力のひとつだろう。「今日の出演者はバンドが多くて、私みたいなファンタジーな人はいなかったんですけど、みなさんついてこれてますか?ここを一気にファンタジーの遊園地に変えたいと思います!」そんな高らかなMC通り、“CANDY CANDY”、“み”とポップチューンを連続投下。鮮やかなトラックとダンサーも交えたパフォーマンスはぐんぐんと周りを巻き込んで、気づくとそこはもう完全なるきゃりーワールドと化していた。
 
    ファンタジーとは現実と空想を遮断するものだ。しかし彼女の演出するファンタジーは、実はとってもシリアスなのかもしれない、と思ったのはここからのセットリスト。彼女の心情そのものかと思ってしまう〈ただ恋をしてるだけなの 機械みたいに生きてるわけじゃない〉という一節が印象的な“もんだいガール”から、〈同じ空がどう見えるかは 心の角度しだいだから〉と説く“つけまつける”、続けて披露された、等身大の自由を〈おなじになって いい子でなんて いたくないって キミもそうでしょ〉と主張する“ファッションモンスター”まで。いずれもきゃりーのキラーチューンだが、結局のところ彼女は、ファンタジーを通してリアルをより具現化しているように聞こえたのである。
 
    ポップアイコンとしてのきゃりーぱみゅぱみゅの曲は、「きゃりー対みんな」という構図で響く。だからフェスでの光景はその図式がまさに成り立っているかのように見えるが、それでも、実像と対峙した時どうにもエモーショナルな気分になるのは、彼女が「きゃりー対みんなの中のわたし」の間を響き合う音楽を体現しているからだ。これらの楽曲が、紛れもなく純度の高いポップソングであることは間違いない。だからこそその、一見語感良く記号化され、無意味なように見えなくもない歌詞世界は、わたしたちの心の柔らかいところにすっと入り込んでくる。きゃりーぱみゅぱみゅが曲中で描くヴィヴィッドな「わたし」が、決してひとりになれない私たちと重なるのだ。
 
    今月にはデビュー5周年を記念した初のベスト盤『KPP BEST』をリリースする彼女。「5年も続くと思ってなかった」と語る姿は、とても愛おしかった。きゃりーぱみゅぱみゅという2010年代の象徴が作り上げてきたポップネスとは、単なるキャッチーさを曖昧に表現した言葉ではない。〈最&高 まさかの夢じゃ 最&高になれないの〉という固い決意が潮風に乗って届けられるかのように、ニューシングル曲“最&高”は、群を抜いて浜辺を揺らしていた。「一対一」の濃密なコミュニケーションが、確かにそこには在ったのだ。