はす向かいにて

20歳、自分のこととそうじゃないこと

「きゃりーぱみゅぱみゅ」という私たちについて

2016.5.5 JAPAN JAM BEACH 2016@幕張海浜公園 きゃりーぱみゅぱみゅ SKY STAGE 16:45~

     たとえば今、渋谷のスクランブル交差点を友達と一緒に歩いているとしよう。街頭ヴィジョンからはキャッチーなメロディがきらきらした音色で彩られた耳馴染みの良い音楽。その瞬間「この曲良いな」と思ったとして、それを自分の部屋にこもってイヤホンで聴いたとき、同じように良いと感じるだろうか?音楽にはそれぞれ合った届けられ方があるように思う。アーティストと自分の間を「一対一」で響き合うもの、アーティストとオーディエンスの間を「一対みんな」の構図で響き渡るもの――――きゃりーぱみゅぱみゅは完全に後者、つまり街角で聴いて良いと思える音楽だと思っていたのだが、実はそうでもないらしいのだ。

    JAPAN JAM BEACH 2016最終日、夕暮れを前にしたSKY STAGEに堂々と登場したきゃりーぱみゅぱみゅ。“インベーダーインベーダー”をビートに乗せてはつらつと歌い上げると、続けて披露された“にんじゃりばんばん”は軽快なハンドクラップを誘い、オーディエンスは早くもお祭り状態。からっと晴れた好天も手伝って、ビーチの熱気はあっという間に沸点を超えていく。広い会場においても、密接なやり取りが出来ていることもきゃりーのライブの魅力のひとつだろう。「今日の出演者はバンドが多くて、私みたいなファンタジーな人はいなかったんですけど、みなさんついてこれてますか?ここを一気にファンタジーの遊園地に変えたいと思います!」そんな高らかなMC通り、“CANDY CANDY”、“み”とポップチューンを連続投下。鮮やかなトラックとダンサーも交えたパフォーマンスはぐんぐんと周りを巻き込んで、気づくとそこはもう完全なるきゃりーワールドと化していた。
 
    ファンタジーとは現実と空想を遮断するものだ。しかし彼女の演出するファンタジーは、実はとってもシリアスなのかもしれない、と思ったのはここからのセットリスト。彼女の心情そのものかと思ってしまう〈ただ恋をしてるだけなの 機械みたいに生きてるわけじゃない〉という一節が印象的な“もんだいガール”から、〈同じ空がどう見えるかは 心の角度しだいだから〉と説く“つけまつける”、続けて披露された、等身大の自由を〈おなじになって いい子でなんて いたくないって キミもそうでしょ〉と主張する“ファッションモンスター”まで。いずれもきゃりーのキラーチューンだが、結局のところ彼女は、ファンタジーを通してリアルをより具現化しているように聞こえたのである。
 
    ポップアイコンとしてのきゃりーぱみゅぱみゅの曲は、「きゃりー対みんな」という構図で響く。だからフェスでの光景はその図式がまさに成り立っているかのように見えるが、それでも、実像と対峙した時どうにもエモーショナルな気分になるのは、彼女が「きゃりー対みんなの中のわたし」の間を響き合う音楽を体現しているからだ。これらの楽曲が、紛れもなく純度の高いポップソングであることは間違いない。だからこそその、一見語感良く記号化され、無意味なように見えなくもない歌詞世界は、わたしたちの心の柔らかいところにすっと入り込んでくる。きゃりーぱみゅぱみゅが曲中で描くヴィヴィッドな「わたし」が、決してひとりになれない私たちと重なるのだ。
 
    今月にはデビュー5周年を記念した初のベスト盤『KPP BEST』をリリースする彼女。「5年も続くと思ってなかった」と語る姿は、とても愛おしかった。きゃりーぱみゅぱみゅという2010年代の象徴が作り上げてきたポップネスとは、単なるキャッチーさを曖昧に表現した言葉ではない。〈最&高 まさかの夢じゃ 最&高になれないの〉という固い決意が潮風に乗って届けられるかのように、ニューシングル曲“最&高”は、群を抜いて浜辺を揺らしていた。「一対一」の濃密なコミュニケーションが、確かにそこには在ったのだ。